T.S.シュタイナー『日本見聞録』

名前は「TSしたいなあ」が語源です。ルドルフ・シュタイナーとT.S.エリオットは無関係です。

スローライイフ・ファンタジー

 「フレデリック」(レオ・レオニ)を読んだ。絵本である。結構面白かった。同作者であれば「スイミー」の方が有名かもしれないが、意識高い系の本なので私は読まない。

 

 

あらすじ

 

 主人公フレデリックは働かない、年中無労の大ニート、口癖は「明日から本気出す」ならぬ「~を集めているのさ」、元気玉でも撃とうとしているのだろうか。他のねずみたちからは若干疎まれているが、気にしたような素振りもない。

 

 冬になると、しかし、フレデリックも寄生を続けてはいられない。飢えと寒さの極まったねずみたちの目には働きもしなかったフレデリックは仲間としては映らず、暖かな毛皮と脂の乗った肉の塊くらいにしか見えていなかった。これではいつ殺されるかわかったものでないと思ったフレデリックは一計を案じる…みたいな話。絵本のストーリーって子供のときは不思議に思わないけれど、今読むとちゃんと意味分からないね。

 

 【ネタバレ注意】

 

 

 フレデリックがこのとき使用したのは詩だ。人々の想像力に訴えかけ、空想と現実の皮膜を限りなく薄くしてしまう強力な力だ。こう考えると、「フレデリック」は成功した世界線の「狐憑」(中島敦)、と抽象化することも可能だろう。「フレデリック」作中での詩は、冬に凍えるねずみたちに春の暖かさを、飢えに苦しむねずみたちに満足を与えるなど絶大な効力を発揮する。しかし、注意すべきは、これが現実の問題を何一つとして解決していないということだ。その日は詩の力でどうにかなっても、冬はまだ続くかもしれない。一日誤魔化せたからといって、食料が増えたわけでも、寒さがなくなったわけでもないのだ。サルトル「アフリカの飢えている子供たちを前にして文学に何ができるのか」という文句を引用するまでもなく、我々は文学の無力さを思い知らされている。詩で腹が膨れるのは詩人だけだ。

 

 しかし、それでもダメ人間はフレデリックを目指すべきだ。といかこの道以外にない。

 

 才能があってもダメ人間は食いっぱぐれることもある。才能のない奴に関してはもはやいうまでもないだろう。そんな世知辛い世の中で、我々ダメ人間は文学という虚構にすがって精一杯生きる以外、生き残る術はないのだ。

 

 

 

だが諸君、悲観することはない!

我々には双葉杏がついている!!!

 

 

 

 

双葉杏

 

 ”とにかく手を抜きたがる性格であり、その怠けようからよくニートと呼ばれる。また、卯月と同い年(17際)ながら10歳女児並の身長という異例の妖精のプロポーションを誇る。体重に至っては卯月のわずか2/3、BMIにして15.5であり、スリーサイズはなぜかシークレット。その強力なキャラクター性と文字通り強力な攻撃性能が相まって、比較的高レートで取引されている。”

ニコニコ大百科より引用、双葉杏とは (フタバアンズとは) [単語記事] - ニコニコ大百科 (nicovideo.jp)

(アクセス日:2023年1月30日)

 

 

 くっそかわいい(憤激)

 

 

 

 まあ、どう生きたところでダメ人間には生きづらい世の中なのだ。適応力に欠けば集団からつまはじきにされ、ちょっと歪む。歪むと余計に適応しづらくなるので疎外が進み更に歪む。こうしてできるのがダメ人間だ。私はそういう自分のダメさに気付く度に吐きそうになる、メンタル糞雑魚なんでね。寝る前にこれが頭の中をぐるぐるするので結構辛かったりする。

 

 けれど、双葉杏はダメダメでいいと自分を肯定する。彼女は実際は結構頑張り屋さんなのだが、人のどうしようもないところをそれでもいいんじゃないと言い切ってしまう。この言葉の軽さに結構救われる。…あぁ、杏、好きぃ。

 

 ともかくとして、人間どこに行ったところでいつかは努力を強いられるものである。だから立派なダメ人間として精一杯努力から逃げていよう。人生の壁というやつが逃げ道の果てに現れるまでは。杏と一緒に飴でも舐めて布団にくるまって二度寝していよう。