T.S.シュタイナー『日本見聞録』

名前は「TSしたいなあ」が語源です。ルドルフ・シュタイナーとT.S.エリオットは無関係です。

ポケットはいつだって膨らませておけ

 人と話しているとき困るのが変に空く間である。親しい親しくないにかかわらず一つの話題について話し終えると、次の話題へ移るまでちょっとした読み合いが発生してどちらも喋らないままに過ぎる気まずい時間が生まれてしまう。気にならない方も居るとは思うが、私はめちゃくちゃ気にする。そして、どうにか話題を提供しようと悩む内に、その場の変なテンションのままに話し始め、様式美とばかりに失敗。その後、折に触れては思い出し叫びのたうち回っている。一度の失敗であれば笑い話にもなるだろうが、「歴史は繰り返す」などと言われるように、黒歴史は繰り返されるものらしく、これが断続的に起こるので後悔の種は尽きない。

 

あ”あ”っ!!!!!

羞恥心で自我を統合する精神の核が放射性崩壊するぅ!!

ぬわあぁ!!尊大羞恥心と臆病自尊心があ!!~~~♡お”っ…んっ♡ 失礼、かみました(八九寺真宵)。

 

閑話休題

 こういった不幸の連鎖を止めるために、私が活用しだしたのが…

 

 SHUNSOKU だ!!!

 

 「俊足」は青少年の走力上昇を目的とした両足に装着する補助器具で、その軽さと強力なバネの力から他社製品を寄せ付けない二十年来のロングセラー商品となっており、その使用期間は小学校高学年までが一般的とされている。と言うのも、春機発動後はおろか、性の梅が蕾をつける頃にはメインユーザーはダサさという模糊とした価値基準に従って「俊足」シリーズから足を洗い、残りは付和雷同の観念から同様にこれらを履かなくなるのだ。足の速さが主なセックスアピールとなり得た小学生という期間からより複雑で近代的な要素が絡んでくる中学・高校生の期間への変遷と共に苦楽を共にした最高の友とも薄情にも別れを告げてしまう。おお儚き(履かなき)友情よ。

 

 しかし、私は小中高の12年を通してSHUNSOKUを履き続けた。時にはいわれのない誹りを受けることもあった、表では理解者然として裏では見下しているという者だって多かった。PS4であれば、「トロフィーを獲得しました『俊足以外は履かないの?』」という通知が来ている頃だろう、いや、これは私の母親のチクチク言葉だ。

 

 …それでも、私は離れなかった、履き続けたのだ。

 

 これくらいの義理は通したのだから「俊足」を履き続ける私に走力以外の恩恵があって然るべきではないだろうか。つまり、俊足ユーザーという汚名を積極的に活用してもよいのではないか。

 

 童貞は三十年貫き通せば魔法が使えるようになるという。俊足ユーザーも同様に10年以上徹したならば、相応の種族スキルを得るのだ。

 

 固有アビリティー

 『俊足讃歌』

 

 その能力は、微妙な間を埋めるつなぎの話題提供。話に詰まった際、「実は小学校からずっと俊足履いてんだよね、これまじ最高」と唱えるだけで気まずさが霧散する。私は大学でもこれでやっていく。これは誓言であり制限である。

 

話は逸れたが、

 コミュニケーションに難を感じるならば、ある程度話の種というかネタというかをいくつか常備しておくと楽だよってこと。